脱ポストモダニズム宣言:
批評的検証と応答(Q&A)

English

A.

いいえ、私の探求はモダニズムとは「問題設定」そのものが異なります。

モダニズムが「絵とは何か」という形式の純粋さを追求したのだとすれば、私は「絵がいかに生まれるか」という生成のプロセス、そしてモダニズムが問題としなかった**「中心」の構造**を扱っています。

モダニズムは条件を先鋭化し、絵画を「純化」しました。 対して私が扱うのは、運動・判断・呼吸・ずれといった複数の要素が作用し合う**「複合的な条件」**です。それらが整った瞬間に、事後的に構造が立ち上がります。

私の制作は、美術史上の自己表現のためではなく、私自身の “感情の解決”“呼吸の回復” のために、作品の「中心」が生まれる場を探る行為です。

それは、モダニズムとも、表現主義とも、ポストモダニズムとも異なる地点に立っています。

A.

 私の制作における中心、生成、構造。これらは分かちがたく一体を成しています。

私の言う「中心」は、固定された静止点ではありません。それは作品の内部で立ち現れる「生成の起点」です。

中心を置くという行為は、即座に周囲を巻き込み、その変化が再び中心へと跳ね返る往復運動を生みます。この中心と周囲が互いに影響し合い、揺れ、ずれながら、画面全体の呼吸と均衡が「しっくりくる」一点へと収束したとき、そこに自律的な構造が立ち上がります。

私が扱っているのは、この生成し続ける過程そのものとしての中心です。それは視覚の焦点であり、色彩の重心であり、作品の精神的均衡を形づくる核となります。

歴史上の中心は置く・決める・計算する・構成する中心。   私の中心は、揺れと相互作用の中で“生まれる中心”

個別の比較

アドルフ ゴットリーブ:中心を象徴として置く。

 私:中心は構造の必然として生まれる。 

ケネス ノーランド:中心を決めて始める。  

 私:中心は揺れながら立ち上がる。

 アルバース:色彩のための計算された配置としての中心。

 私:中心は周囲と相互作用しながら生まれる。                        

モンドリアン:構成によって中心が決まる。

 私:中心は複合的な要素が共存する生成の場。

歴史上の生成は、形・運動・反復・拒否による生成。私の生成は中心が生まれる生成。

ミロ/クレー:形が生まれる生成  

ドローネ:円運動が生み出す生成  

ステラ:生成そのものを拒否し、構造を固定する  


私の生成:  中心が生まれる生成。
中心が働き始めた瞬間に、構造が立ち上がる

「中心」がいかにして生成(現象)の内部から現れ、構造(定着した状態)へと成立するのか。

生成(現象) 混沌とした力が動いている状態。行為と判断の往復の中で、中心が現れるための条件が揺れ続けている。

中心(起点) 生成の内部から現れ、現れた瞬間に、作品の力学の起点として働き始める。

構造(定着) 中心を起点とした力学が画面全体に浸透し、ひとつのまとまりとして立ち上がった状態。

A. 私の立場は、モダニズムにもポストモダニズムにも属しません。

モダニズムは形式的な純粋さを追求し、ポストモダニズムは「中心」の存在そのものに疑問を投げかけました。私が扱うのはどちらでもなく、構造が生成されるプロセスそのものに焦点を当てています。

私にとって、中心とはあらかじめ定められた固定点でも、単なる幻想でもありません。それは、中心とその周辺が絶えず互いに影響し合う中で、絵画という行為を通して出現するものです。私の立場は、創造行為の中で生じる構造の「生成」に根ざしています。これは過去の理論の繰り返しではなく、中心の生成を芸術創造の中核と捉える独自のダイナミズムです。

A.意志は意図的に中心を置くという文脈によって作品の一部になります。

しかし、その置かれた中心自体は客観的構造、つまり視覚的法則によって支えられています。

感動そのものは人それぞれ違いますが、それを支える構造は誰にとっても共通する視覚的法則のもとにあります。

「中心は構造であり意志である」という言葉はこうして生まれました。

A.すべてが相対的であるなら普遍的真実は成り立たないという考えは理解できます。しかし私は、外側の理論の正確さではなく、「感動は言葉に先立つ」という内面的真実に基づいて制作しています。

この宣言はポストモダンの時代に私が抱えた葛藤に対する応答です。作品は自己治癒でもあると同時に、中心という装置によって構造に結びつけられ世界に開かれています。

宣言は、私の過去と未来の私の作品を守るための切実な言葉です。

A. 私は技術的に高度なことを目指していません。率直なものは人を驚かすという信念で意志と構造を結びつける事に注意を払っています。鑑賞者が感動しないというのは残念ですが、私は構造が納得が行くまで繰り返すだけです。

A.構造は個人の好みではなく、誰にとっても働く視覚的法則です。 私はその法則を使って中心を置き、意志を可視化しています。 趣味とは主観ですが、構造は主観ではなく、作品を支える客観的な土台です。

A.中心は視覚的法則を代表する言葉です。権威のためではなく、視覚的法則で読み取る装置です。

A.ポストモダンがもたらした虚無的な病理は、私だけでなく時代が共有する病理であると認識しています。これは、現代に生きる私たちすべてが、多かれ少なかれ共有するものだと思います。この自らへの癒しは、コミュニケーションの放棄とは全く逆です。

A. 意味の生まれる前。


展開:中心のある絵画

Ryuji Moriyama 森山龍爾