中心への軌跡
純粋性でも物語性でもない。
モダニズムが「絵とは何か」を追求することとすれば、私の探求は「絵がいかに生まれるか」というプロセスそのものを扱うことである。
モダニズムは形式の純化によって内側に閉じ、 ポストモダンはその行き詰まりから外部の物語に依存した。 しかしどちらも、絵画内部で実際に起きている“現象”──視覚法則の作動──を扱う視点を持っていなかった。 私の探求は、この欠落した“現象の層”を扱う立場に立っている。
絵画内部で起きている“視覚法則の動き”は、その作動の状態によって三つに分かれる。
生成前:視覚法則がまだ作動しない
前層:視覚法則が起動し続ける
後層:視覚法則が収束し安定
私は、中心がありながら視覚法則が起動し続ける[前層]に立つ。
The Pre-layer is the wavering before form.
The center arises in this wavering and settles as visual law.
In this shift, structure triggers emotion, preceding language.
調整を終え、時間が経つと、画面がかすかに揺れるように見える瞬間がある。 その揺れが気になり、私は「描く」という行為と「見つめる」判断を往復してきた。
揺れの中で中心がまだ生まれない構造。視覚法則の上で判断と行為が揺れている状態を Before-Origin と名付けた。
世界の側にすでに秩序が働いていると感じていたので、
意味を先に決める必要はなかった。
判断 → 行為 → 変化 → 判断… の循環が続くかぎり、
画面は生きている。
その循環を信じたことで、意味を立ち上げる必要がなくなった。
揺れが続く。
ポストモダンが外部に依存せざる得なくなった時、私は意味の生まれる前に立ち戻り、源泉に触れる必要があった。
中心を探究するうちに、 視覚法則が自然に生む「収束する中心」と、 生成を起動する「起動点としての中心」を同時に作り出した。
中心が二重化し、収束と反収束が拮抗することで、 画面は緊張と揺れを持続する。 この状態を前層と呼ぶ。
オールオーバーの作品は中心のない均一な画面であり、 そこで生まれる差異は滲みや色あい、テクスチャーなど 素材そのものの揺れである。
前層の揺れは、素材ではなく生成プロセスそのものの揺れである。
モダニズムは形式の純粋化を突き進めて構造を消し、作品の内側に閉じてしまった。 ポストモダンは根拠を外部に求め、構造を不要にした。 どちらも作品の生成プロセスを扱うことができない。
現象を眺め判断し、身体でそれに関わり、関わった変化を見てまた判断する、やがて中心が現れ、変化が大きくなり、またそれに対応して、判断、行為を繰り返し、構造が生まれるかもしれない。
モダニズムが内側で行き詰まると、ポストモダンは外部に根拠を求めた。 そのどちらにも「視覚法則が作動し続ける層」は存在しなかった。
私はこの抜け落ちた層を「前層」と名付けた。
視覚法則とは、意味ある統合をしようとする眼の自動的な働きである。働きは起動し、安定して収束する。
前層:視覚法則は起動しているが、未だ収束していない状態。
後層:視覚法則が収束を達成した状態。
具体例:ここで、前層/後層がどのように現れるかを 具体的な絵画作品で見ていく。(→ 外部の地図へリンク)具体例
Artist Map (作家の地図 )

迷路 1980
意識化以前の構造
Declaration (宣言 )
Internal Terms (辞書 )
Q&A (入口の補助 )
物語が主流だが、私はそこには立たない。